NANAMI:
岡田さんTo Be Continued結成の前はサラリーマンだったっていうのは本当ですか?
岡田:
そうなんですよ。一応大学も行ったんですよ。で、大学で音楽やるつもりでいたんですけど、遊びも結構楽しんじゃって、遊びすぎちゃって。俺って本当に音楽好きなんかなって分かんなくなっちゃって。このまま音楽のプロになるってことで卒業していいのかなって不安になって。じゃあ、1年就職してみようと。その中でも音楽のことが忘れられないようだったならば、音楽やればいいしと思って。田舎、群馬なんですけど、田舎の方で仕事しながら週末、東京、横浜の方に来て、バンド活動をして。んで、月曜日の朝方帰っていって、そのまま仕事するみたいな。寝ないで仕事してたんですけども、それでも全然音楽に対する熱が冷めなかったんで、やっぱりこれやったほうがいいなってことで辞めて、もう一回東京で出てきてって感じで。サラリーマンってね、保険関係の仕事してたの。
清水:
営業ですか?
岡田:
営業もデスクも全部やってたの。窓口も。それで幹部候補生だったんだよ。
清水:
当時のお客さんは、数年後にドラマに出ていて驚いたでしょうね。
岡田:
そうね。あのね、下手するとお客さんところ行って土下座したこともあるのね。自分が書き間違えちゃって、これどういうことなんだって怒られちゃって。そんな人も居たもんで「あいつ俺の所来て、土下座したんだよ」なんて話も出てるかもしんない。まあどっちにしてもいい思い出です。To Be Continuedでは歌詞と歌を担当している訳ですけども、そういったところにも活きてるし、役者をやるときにおいても、サラリーマンってのはこういうもんだってことはなんとなく分かるしね。上司と部下の関係ってものもわかるし。
NANAMI:
デビュー後、事務所が猛プッシュしたんですけど、なかなかヒットが出なかったっていうのは。
岡田:
そうなんです、その時の一番大手はソニーだったんですけど、ソニーレコードと、あと事務所、ドリカムがバンバン売れてた時の事務所で、MSってところだったの。両方ともすっごい、一番大きかったところなの、そこが(MS)手上げてくれて、そこに入ったもんだから、曲出したらすぐヒットするもんだと思ったんだけど、ミュージックステーションとかもたくさん出さしてもらったの。毎回出させてもらって10何回とか。出ても出ても全然ヒットしなくて。3~4枚出して、ある日リーダーが「話がある。次のシングル、ダメだったら多分、俺たち終わりだと思う」って言われて、ええーって。ガビーンとなって。そんな時にドラマの話が決ましてですね。3回ぐらいオーディション受けて、受かって、それが『もしも願いが叶うなら』という、ダウンタウンの浜ちゃんと、中山美穂さんと、僕と、FLYING KIDSの浜崎が4兄弟姉妹のハートフルコメディなんですけど、これに出さしてもらって、そん中の、劇中で歌った劇中歌の『君だけを見ていた』という曲がヒットして首の皮つながったんですよね。
清水:
そんな結構ギリギリの状態からの脱出劇だったんですね。
岡田:
ギリギリも本当にギリギリで。
NANAMI:
ヒット作品があった後に活動休止して、そして21年後に復活。21年後って本当にすごいなと思うんですけど、活動の再開の理由ってなんだったんですか?
岡田:
これね、今年の初めにダウンタウンの浜ちゃんがやっている「ごぶごぶ」という番組がありますけれども、そこに中山美穂ちゃんが出ることになったんです。それで、僕とFLYING KIDSの浜崎は大阪のお勧めのお店を紹介するっていう。ハガキを書いて送る、それだけのことをプロデューサーさんに依頼されたんですけど、ちょっと待てよと。あのね『もしも願いが叶うなら』のメンバーっていまだに続いてるんですけど、「いつかやりたいね、いつかやりたいね」ってなかなか出られなかったんです。その27年ぶりのタイミングが、これタイミングじゃないって。「俺と浜崎頑張れば、これ地上波27年ぶりの再会出来るんじゃね?」って話で「これプロデューサーさんに話して行っちゃおうぜ」って番組に出ちゃったんです。
清水:
言ってみるもんですね、そういうときは。
岡田:
言ってみるもんです。それで27年ぶりの『もしも願いが叶うなら』の毛利家の再開が出来て。その時に「やんないの?To Be、やればいいのに」ってことを背中を押されて。もう、その番組がTo Beにとっては恩人なわけですよ。その番組に出られなかったらヒット曲もなかった訳ですから。首切られたら訳ですから。その番組のメンバーに言われたんだから、これはもう今がタイミングだろうと。2人に話したら、いいんじゃねって話で、再始動になったんですよね。
編集後記
トーク内容、こだわりや経緯等を聞いた後の感想 大学からサラリーマン時代に気付いた、音楽への忘れられない想い。活動休止後のもう一度、皆で活動したいという想いの火種。音楽が好きで、片時も忘れられない岡田さんが居たからこそ、この再始動があったのだと感じます。
チャンスを引き寄せ、掴む人は「チャンスに気付き、自ら行動できるアクティブさ」が共通してあると考えます。バンドの窮地を救った番組の共演者との再会、バンド再始動を呼びかけた時のメンバーのタイミング、全ての歯車が噛み合った奇跡は、岡田さんの純粋な想いと行動が引き寄せた結果なのだと理解しました。
「全然音楽に対する熱が冷めなかった。」